認知症の親との付き合い方(3)
認知症になった母と接していて思ったことはたくさんあります。
その中で、こちらの心構えを学びました。
認知症という病気にあらがうことはできません。
どんなに頑張っても。
だから、家族や周りの人が受け入れるしかないのです。
これまでの人格と変わってしまった。
あんなにしっかりしていた人だったのに。
何だか、情けなくて、悲しい。近親者だとなおさらです。
一緒に側にいると、
何かと困ることが起こり、理屈は通らなくなり、ひどい言葉を浴びせられたりもする。
「面倒見きれないわ!」とこちらまでイライラ。
そんな関係でうまくいくわけがありません。
外出しても心配が頭をよぎります。
我が家では2年くらいデイサービスに通った後、施設に入れました。
世の中に施設に入れることに賛否はあるのはわかりますが、
私の姉妹は協力的だったことに救われました。
私の姉妹は私の体のことも考え、
みんな賛成して、率先して一緒に協力して動いてくれました。
よく言われますが、
離れてみると、イライラは落ち着き、
現実を客観的に見たり、
母に対しても優しくいたわりの気持ちがわいてきました。
一緒に見てくださる施設の方々には、感謝する気持ちでした…。
恵まれた施設だったと思います。
(入所するときに5件ぐらい見て回り、一番気に入ったところに入ったこともあり…。)
「どなた?」 えっ…とうとう私のこともわからなくなってしまった!?
(まだらボケの症状が出てきます。 ムラがあるのです。)
それは、子供にとって認めがたい辛い悲しいことです。
でも事実は変わらないのです。
母にとっては、すぐに忘れてしまう「今」の時間だけど、
だからこそ、「今」を笑顔にしてあげたい。
笑顔でいられる時間を少しでも長く作ってあげたい。
おのずと要求することはなくなり、目の前の母をほっとさせたり、安心させるように接しようと思いました。
変なことを言っても、否定したり、非難せず、話を合わせるようにしました。
「そうだよね」「大丈夫だよ」「仕方ないよ、歳をとったら誰でもそうだよ」「顔色がいいね、元気そう」「お母さんのお陰だよ。」
「みんな元気だから安心してね」
なるべく母に寄り添うような言葉をかけました。
正しい答えを求めていないのだから。時には、嘘だっていいのです。
これまでの元気だった、しっかり者の母は、もういないのだと割り切ること。
戻っては来ないのだから。それを要求したらお互いに不幸です。
今目の前にいる母は、ちょっと子供に戻ったかわいい母だと思うこと。
その母に、これから残された時間、なるべく笑顔の時間を少しでも長く過ごしてほしい。
こんな気持ちで対応すること。私が母との付き合いで学んだことです。
でもこれは、まわりの人たちの理解と協力がなければ、
そして、施設にお任せするという
ちょっと心を楽にして接することがなければ、
もしかしたら、できなかったことかもしれません。