夫婦のガン闘病生活

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7月1日は、夫の誕生日。

生きていたら、……72歳❣❣

55歳になったばかりの時に、肺がんで、亡くなった

そうか、もう17年も前のこと。

子供は娘が高1、息子が中1  そんな子供たちが多感な頃に。

私はその時、40代前半。

 

 なんと

私も同じ時期に胃がんを患い、3分の2切除。

二人とも、ほぼ同じ時期にがんが見つかって、

私は少し後だった。

夫は6月頃、私は同じ年の8月だったと思う。

 

 

二人で都内のK病院に。 

私が手術のために入院するということで、夫は子供の面倒を見るからと、主治医の反対を押し切って入れ違いに退院した。

 

まだ私は、40代前半、罹患したときは。

私は9月に手術して何とか命は助かって、

夫はステージ3のbで手術できなかった。

夫の放射線療法に、付き合ったっけ。病院のちょっと暗い地下室に放射線室はあった。

私が付き添って、一緒に行くと、検査室の方から、

「たま~に夫婦で一緒にがんになる人はいるんですよ。」って言われて、

え!?そんなことあるの?私たち、すごく不幸なレアなケースだと思ったんだけど…。

もしかしたら、励ましてくれたのかも知れない。

 

夫はしばらく放射線療法、抗がん剤を続けたけれど、血液の状態が悪化した。

白血病の前段階、骨髄異形成症候群で治療が中止。

 

血液状態がかなり悪くなり、放射線療法や抗がん剤が使えなくなって、輸血しなくちゃいけないと主治医に言われても、本人は拒否。

その当時、エイズの問題が出ていたから、そういうことを恐れていたのかも…。

今、自分が急変したり、倒れては家族を支えられられない そう思っていたようです。

 

その後は、夫は治療法がなくて、重粒子線治療を調べて行ったけど適応ではなかった。

K病院の治療に限界を感じた夫は、別の病院、癌研にも行った。日本医大にも。

丸山ワクチンやら、キノコやらプロポリスなどのがんに効くという?不思議な食品
玉川温泉など… 藁をもつかむ状態でした。

 

もう病院でできる治療法がなかったから。

 

治療法が尽きてしまった状況…「ガン難民」その言葉が現実に。

 

最後に残ったのは、丸山ワクチンだけでした。

効いているのかいないのかはともかく、

治療法のない状態では、これだけでした。 

K病院の主治医の先生には、「そんなの効かないよ」と。

 

でも最後まで、近くのワクチン協力の病院に行ってワクチンを受け続けました。

治療法がない、何もできない辛さを振り払うように、

じっとしていないで何か少しでも前を進みたい。

希望を持ちたい。

 

ずっと最後まで夫は、これまで同様、毎日タバコを吸い、午前中はパチンコ屋などで気を紛らわし

つかれると家に帰ってきてぐったりと寝ていた。

私が胃の切除で体力を落として、具合が悪くあまり動けなかったから、自分が支えなくちゃと。力を振り絞っていたのでしょう。

どんな気持ちでそんな時間を過ごしていたのかと思うと胸がつぶれる思いです。

とうとう呼吸困難を起こすまで。

救急車で運ばれて、約2週間後、夫は病院で旅立っていきました。

最後は、モルヒネで、会話はできませんでしたが、

こちらの声は聞こえていたように思います。

 

たくさんの後悔はあります。

今では、あの時は精一杯だったのだからと自分に言い聞かせ、

たとえどんな選択をしても、どんなことをしても、

きっともっとこうしてあげればよかったと…。

だけど、その時、どんなことができたでしょう。

 

亡くなってしまうと、

不思議といい思い出ばかりです。いい人だったなぁと。

きっとあの人なら、自分たちを今も見守ってくれていると思えます。