認知症の親との付き合い方(2)

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母が植えた牡丹。毎年咲いています


父母を見ていると、ボケはじめた頃は、

自分で、少しづつおかしくなっていく自分がわかるらしく、

苦しんでいたようです。

本人も、そんな自分に腹を立ててイライラしたり…。

 

その様子を身近で見ているまわりの家族も、

理解しようとすればよかったのでしょうけれど、

変わっていく母の、その現状が受け入れられなくて、

「どうしたの?しっかりしてよ!」 とか、「前にも何度も言ったじゃない!!」

と責めてしまいがち。

考えてみれば、病気なんだから酷なことなのにね。 

お互いに現状を受け入れられず苦しんでしまう。

 

母の場合、父が亡くなってから、私が側で見ていたので、一番身近な当事者でした。

その時の状況を中心に話します。(父の時は、母が中心に面倒を見ていたので)

 

何度同じことを忠告してもすぐに忘れてしまい同じことをする。こちらは困るからそれを説明して指摘すると「もう私なんか死ねばいいのよね!」といった投げやりな言動。

大切な郵便物などをどこかに置きっぱなしにして行方不明、…等々

こちらは、張り紙をしたり、分ってもらいたいから説明して説得しようと、何回も何回も同じことを言うのだけれど…やはり、定着しなくて、同じことをする。

お鍋は全部焦げ付き、電子レンジとトースターの区別がつかない。火花が出たり💧

この連続では、さすがに疲れてくる。

 

 

とうとう、施設を考えました。

母の時は、思い切ったきっかけは、やはり、火の始末でした。

母のいる1階から焦げ臭いにおいがして、あわてて駆けつける毎日。

安全上放置できないレベルまできたので……。

 

 

 

施設について

父の時は 嫌がる本人を、

実の姉がいるからと説得して、父の姉がいる同じ特別養護老人施設に入りました。

仲の良かった身内がいるから、こちらも少し安心だったのです。

 

ただ、あの頃は、あまり施設自体が少なくて、選択の余地はなかったと思います。

家から離れた、遠い距離の施設だったので、なかなか会えなくなり、

その後認知症はどんどん進んでしまいました。

 

施設内では期待していた入居者同士の交流などはなく、孤独でした。

表情も乏しくなり、

その施設で、寂しく一人ぼっち…。

穏やかな父が物を投げたり、イライラしていたと施設の方に言われて信じられないことでした。

そのまま家族との交流も頻繁にはできず。

今から考えると、後悔が残っています。

やはり、もう少し頻繁に面会できる距離であれば…と。

 

 

母はグループホームでした。

家から自転車で40分ぐらいだったのと、施設の方が家庭的な雰囲気で、

認知症は進みましたが、亡くなるまでそこで過ごしました。

何度か、倒れたり、怪我をしたりして、

心臓に心配もありましたが、90歳を超え、手術などとても耐えられそうになかったので、

そのまま本人が痛い思いなどせず、自然に生きてくれたらいいと思い、お断りしました。

結局、施設には5年くらいお世話になりました。

環境をかえたくなかったので、グループホームの方もそのまま特別に見てくださったのです。

 

93歳で、穏やかに「ありがとう」の言葉を残して旅立ちました。

最期まで大きな悔いなく……。