優しかった父のこと 

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父は内科医でした。

大正生まれで、戦争を生き抜いてきた人でした。

太平洋戦争でラバールの若い軍医として出征し、戦地でたぶん地獄を見るような経験をしてきたのだと思います。

 

そういうと、とても厳しい厳格な人と想像されるかもしれませんが、

それはそれは優しい、気の小さい人でした。

私たち3人姉妹は口癖のように「いい子だ、いい子だ」って言われて愛情深く育てられ、叱られたことはほとんどなく、いつも父の膝の上にのっていた記憶があります。

よくこんなに優しい気の弱い人が戦争に行けただなんて…。

身体もあまり丈夫でなく貧弱だったのですが、医者ということで戦争に駆り出されたようです。

 

戦争の話は、ほとんどしませんでした。

きっと思い出したくもないくらい恐ろしい思いをしてきたんだろうと思います。

 

ただ、父がわずかに戦争について語ったことで、印象に残っていることは、

「お父さんはホントに命拾いしたんだ。」ラバールに着くとき、10隻の船のうちそのほとんどが攻撃されて沈んだそうです。さいごの一隻も爆撃を受け沈みかけたんだけど、かろうじてたどり着いたその船に乗っていたので助かった。とか…。

現地の人とも交流があったようで、歯磨き粉(昔は粉だった?)を薬だよといって渡すと、ホントに良くなったと喜ばれたとか…。

薬もない戦地で、何か貴重な薬をもらったということで、気持ちが前向きになる。病は気から…ということなんでしょうね。重症の患者さんには通用しないと思いますが…。

 

父は、すごく読書家だったのですが、歳をとって、唯一の楽しみだった本も読まなくなりました。

本人は、歳をとっても、ボケたくないな~って切実な口調で繰り返し言っていたのに、

さいごはアルツハイマー認知症でした。

いろいろなストレスが発症の引き金だったような気がします。

施設に、父の実の姉の叔母と特別養護施設に入りました。

 

会いに行くと「どなた?」と言って子供たちもよくわからなくなり、がっかりしていると、時々、「あ~、あの絵が上手い○○ちゃんね~」って私のこともふっと思いだしてくれました。その後すぐに「どなた?」って聞くんですけど…💦

私は、絵の上手い娘だという認識だったんだなぁ…。

89歳、あと2カ月で90歳になれたのに…という時に亡くなりました。

 

お葬式の時、私はほとんど会ったことがない、義理の妹のおばさんから、ほんの少し、戦争の思い出話を聞きました。

初めて聞く話ばかり。

戦争から帰ってきたら、体が黄色くなっていて、どうやらマラリアだったらしいとか。

戦地では、ご飯など火を使うと煙が出て、敵に狙われるので、煙を遠くに流すように苦労した話とか…。

 

 私たち3姉妹は、父が40代に生まれました。

 私が子供の頃は、まわりはみんな20代の親ばかりで、どうしてうちの両親はこんなに歳をとっているんだろう?って思っていました。

戦争に行って、結婚も遅れたのでしょうね。

ラバールに行って、無事に帰ってきてくれて、長生きしてくれたこと、それだけでも奇跡のよう…。

それで私たちがいるのだと思うと、何だか感無量です。

 

 

 

水木しげるさんも、ラバールに行っていたということを聞いて、「もしかしたらどこかで会っているかもしれない」と、もう確かめようもないことを時々ふと思うのです。

同じ部隊ではないようですが…。